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滝沢克己の世界 対話の部屋

滝沢克己に関して、テーマを設定して論じ合う部屋です。この掲示板はトピックごとに表示されます。新しいトピックを作成する場合と、それに応答する場合で書き分けて下さい。

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006735

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24: 女医が発狂してました! このトピックの全発言を見る
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23: 現代の資本主義社会に正義はない! このトピックの全発言を見る
1 名前:クラウド  2008/04/15 19:35  [221.60.70.148]



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22: 資本主義は犯罪です  このトピックの全発言を見る
1 名前:真理  2008/03/15 09:39  [221.60.70.148]
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です



2 名前:ビジター  2008/04/10 09:17  [221.60.70.148]
恥を知りなさい! もうモラルも何も無いじゃない 今の資本主義社会には


3 名前:真理  2008/04/10 09:19  [221.60.70.148]
恥を知りなさい! もうモラルも何も無いじゃない
今の資本主義社会には



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20: わたしの書き込みについて このトピックの全発言を見る
1 名前:ビジター  2007/09/22 12:47  [219.168.166.33]
わたしの書き込み「吉本の浄霊体験」は「日本人の宗教観1」というページからの引用で対談相手が笠原さんでした。よろしかったら検索してください。笠原さんの著作に「興味がありますが、当面、吉本を攻略します。だんまさんの日ごろの、御健闘、かげながら応援しています。












んの対談



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19: イエスはキリストではない このトピックの全発言を見る
1 名前: だんま  2007/08/17 00:42  [219.113.234.212]
これは笠原芳光さんの著作『イエス 逆説の生涯』(春秋社、1999年)の冒頭の一行です。

笠原さんは「思想史」という立場で、教会のイエス・キリストとは違うイエス像を描き出そうとしました。とても興味深い読み物です。

この笠原さんの試みに直接・間接に共鳴しているのが岩波書店の聖書翻訳委員会を中心とする気鋭の新約学者たちです。ほとんどが荒井献さんのお弟子です。といってもかれらは一枚岩ではないのですが。

この欄では、こうした流れを意識し、その歴史的必然性や意義、また具体的な研究成果などを対自化していきたいと思います。

滝沢さん自身、当時の新しい新約聖書学に反応し、それと誠実に対峙したことは周知のことでが、その顰に倣おうというわけです。



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18: 滝沢はドグマである このトピックの全発言を見る
1 名前: だんま  2007/07/25 06:13  [219.113.234.212]
2007年7月22日の「西田哲学会」(二日目)シンポジウムでフロアの質問者から出た発言がタイトルのことばです。

会員の延原さんの提題に対する質問の中での発言で、質問との関連があまりはっきりしないまま、感極まったように、学会には珍しい?発言が飛び出した次第。

延原さんは直接には答えず、ご自身と滝沢先生とのかかわりからそうでない(ドグマでない)旨を諭されたと思います。賢明と思います。

しかし、滝沢については、日本の哲学会にこのような非哲学的な拒否反応があることを知っておくことは必要でしょう。

さて、みなさん、このドグマ的発言にどう答えますか。



2 名前: だんま  2007/07/28 22:28  [219.113.234.212]
この発言は、田川建三の「原点主義」ということばを思い出させます。田川の場合それは「「原点」ということばで何でも切り捨てるイデオロギー」の意味だったのでしょう。

「滝沢はドグマだ」というのは、その原点そのものも独断じゃないかということでしょうか。田川の場合は原点そのものは認めたうえで、それがどんな問題の解決にも如意棒のように使われることに反発した。しかし、原点そのものが滝沢の独断に過ぎない、というのがドグマ発言ではないでしょうか。

ありていに言えば、神を前提にして議論するのはドグマだ、ということになります。

この議論は形式論理的には、簡単に反駁しえます。ではあなたは神の非存在を前提にするのですね。するとそれもドグマになります。したがって、滝沢がドグマだという非難は意味がないことになります。(神の存在非存在に無記を決め込んでもそれも一つのドグマにすぎません)

論者は「哲学は自由な思惟であり、何ものも前提してはならない」という立場に自身を仮託しているのでしょうが、それ自身が強固な前提であることに無自覚であるといいましょう。それだけではない。

もしそういう前提で「滝沢ドグマ」説を高唱したのだとすれば、現象学や分析哲学、また、科学哲学の帰趨をどう考えるか問われなければならないでしょう。

現代哲学は「無前提の学」をそのまま主張しえなくなっています。生活世界や日常論理、科学革命の議論は哲学・科学が前提のある学、いいかえれば絶対確実な基礎を持ちえない「無根拠」の学であることをみとめ、そのことを組み込んでなお相対主義に陥らない理性の働きを模索しています。

滝沢の思想は、現代哲学のこうした動向以前のものではなく、以後のもの、先取りしたものだと信じます。それが可能だったのは西田幾多郎という存在があったからだと思いますが、滝沢をドグマと切って捨てられる神経の持ち主には、次の一言をかけましょう。

滝沢のなにを読まれましたか?



3 名前: だんま  2007/08/01 00:50  [219.113.234.212]
ところで、西田哲学会当日の延原さんの応答はずっと賢明なものでした。

延原さんは、若いときの挫折(火事によってすべてを失う)から立ち直るきっかけに、滝沢さんとの手紙による思想的やりとりがあったことを語られたのです。

つまり、滝沢の言うことをドグマとして「エイヤッ」と信じたのではなく、自分の心との対話の中で、納得しながら説得されていったことを示されたのです。延原さんにとって滝沢さんとはドグマとは対蹠的なもので、力ある思想の言葉だったということです。

私はこういう応答の仕方もあると思います。ただ、相手が聴く耳をもたなければ馬耳東風になってしまう。

私はもう一つ、応答の仕方がありうるのではないかと思います。それを次に書いてみます。



4 名前: だんま  2007/08/02 00:41  [219.113.234.212]
もう一つの応答の仕方というのは、滝沢の主張がバルト神学を変えた、ということを指摘するものです。

バルトは晩年、「聖書原理」に関する滝沢の批判に応え、遺稿集において滝沢の年来の主張を取り入れたのです。(『続仏教とキリスト教』(法蔵館)「あとがき」など参照)

このことの重大性をキリスト教に疎い日本人はまったく評価できないのです。「滝沢がドグマだ」という人は、バルトがそんな安物に乗る、いったいどんな動機を持っていたというのでしょうか。

いや、滝沢のバルト批判が、すでに戦前から、何かこの世界とその根底に関する認識において肝心なものを含んでいたればこそ、バルトはそれをドグマとしてあしらうことなく真剣に受け止め、長年の思想の深まりの中で、滝沢の主張の真理性に目覚めていった、というべきでしょう。

しかも、それは聖書原理に関わっていました。このことの衝撃は残念ながら西洋人のほうが正確に受け止めています。『滝沢克己 人と思想』(新教出版社)のU.シェーンの論文をお読みください。滝沢の仕事は西洋精神史の核心に突き刺さるもので、それがどれほど震撼すべき仕事であるかおわかりになるでしょう。

日本には西田の思想をついだ方がたくさんいます。また、バルトの研究者もいらっしゃいます。しかし、わたしがほかの方でなく、まさに「滝沢克己」について、かれの協会に携わり、うまずたゆまずかれを語りつづけているのは、かれのスケールの桁違いの大きさゆえです。

西田の懐にはいってはそののど元にこぶしを突きつけ、バルトの懐にはいってはその心臓に時限爆弾を仕掛けたのです。そんなスケールの思想家は日本にいたでしょうか。滝沢はおそらく空海に匹敵する知識人と思います。大衆性は持ちえませんでしたが、大衆は知らずに滝沢を生きてゆくことでしょう。

滝沢がドグマだという方に、バルトとかれの思想的ドラマをどう考えるのか、と反問しましょう。



5 名前: だんま  2007/08/09 00:13  [219.113.234.212]
「滝沢ドグマ論」に反論してきましたが、気になっていることがふたつ。また、さらに展開すべきではないかと思うことがふたつ。あらかじめ書いておいて、以後のオリエンテーションとします。

(1)無神論、有神論、無記論をドグマといいましたが、宗教哲学上の議論を参照してもっと詰めてみたいですね。われわれは「論」の立場をとらないのであくまで参考のためということになるでしょうが。

(2)「滝沢の批判がバルト神学を変えた」と書きましたが、そのことを具体的に文献に即して対自化しておきたいですね。言いぱなっしになっていますので。

(3)「独断」「独断的」という批判は、すでに生前の滝沢自身が受けています。本人はどう答えていたでしょうか。これも対自化しておきたい。

(4)この問題、西田と田辺の対立の根底にすでにあったのではないでしょうか。この点では、滝沢から批判を受けた西田が、滝沢の田辺批判に満腔の賛意を表したことが注目されます。そこには哲学や神学をめぐってきわめて重要な問題が露出しているように思います。

西田哲学を「近代日本最初の独創的哲学」とする評価を受け容れるとすると、その成立の時点で何が起きていたのか、それが哲学の歴史の中で何を意味するのか、そういう問題に繋がっていきます。



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17: 初めまして。 このトピックの全発言を見る
1 名前:大哲  2007/07/07 10:54  [60.40.211.13]
現代哲学の課題を読ませていただたのですが、第4章の新しい哲学の基礎とそこから見られた哲学の基本諸問題について私には難しくわかりません。ぜひ要約を教えてもらえないでしゅか??


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16: 佐藤優「国家と神とマルクス」を読んで このトピックの全発言を見る
1 名前:zawakati9091  2007/07/05 21:15  [219.168.167.191] MAIL
8月号の「月刊現代」に鈴木宗男氏と佐藤優氏の対談が掲載され、また「吉本隆明氏の共同幻想論の読み直し講座」の掲載、さらに、「国家と神とマルクス」と最近、佐藤優氏の著作に触れる機会が多くて、だんまさんが書いていた「国家の品格」も読んだ上で感想を述べたいと思っていましたが、だんまさんが体調をくずされて事を知って、急いでまとめようと思っています。まずは、お知らせまで。


2 名前: だんま  2007/07/06 04:30  [219.113.234.212]
zawakati9091さん、情報と言及ありがとうございます。

「月刊現代」の掲載は未読でした。『国家と神と…』は読書中。あとロシアものの『自壊する帝国』も併読中。

先日やっと『国家の崩壊』を入手。一番興味があるのがこれ。これもソ連崩壊を扱ったロシアものですが、さすがにまだ手が出ません。(にんげん出版のこの本、ある日新宿の書店で目の前に現れた、という感じで入手。でも初版でした。)

ソ連の消滅は人類史にとって大きな経験です。いま思い出しても信じられない。鉄の団結を誇ったあの国家がほとんど無血で消滅するなんて。十分学びたいことですね。塩川伸明さんの専門的な著作も気になっています。

また、書店では鈴木宗男との対談本もみました。講談社だったか。

以前「アエラ」で「佐藤優という罠」という特集をしていましたが、最近は「国策捜査」を告発して戦う佐藤の根性が前面に出てきたの感がありますね。刑事被告人として係争中の人だからあたりまえですが。佐藤を通して「国家」というものの恐ろしさを改めて実感させられています。リバイアサン!

なお、かれの国家論(「『資本論』は官僚、つまり国家を扱っていない」)というのは柄谷行人の受け売りだったようですね。なーんだ、っていうところです(『国家と神と…』)。吉本や柄谷といった評論家は信用していませんので。

でも、官僚は社会にではなく、国家に属す、というのは具体的で面白い指摘でした。フーコーは社会関係のなかに張り巡らされたマイクロ権力に眼を開かせてくれましたが、国家権力といった大きな権力がまたせり出してきたということでしょう。

戦前のことを思い出す、などと書くと、今は戦後ではなく、戦前だという声が聞こえてきます。とにかく佐藤の存在は「国家を忘れるな」というという警鐘です。

zawakati9091さんのご意見楽しみにしています。わたしも佐藤優を解体するところまで行きたい。




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